大人になるとは
大人になるってなんだろう…と時々考えます。
人様に迷惑をかけない事。
自分の行動に責任を持つ事。
他にも色々とありますが、この辺りが大事なんだと思いながら今までやって来ました。
そして未だ大人になる途中です(笑)
自分が未熟なので、自分の子供に偉そうに説教していると自分で自分が可笑しくなってきます。
怒られている方にしたらたまったもんじゃないですね(笑)
でも最近、少し違うかな?と思い始めました。
大人になるという事は、
他者との関わり合いを通じて自分の役割を見つけること。
他者と自分との違いを理解し、受入れること。
他者と助け合う事が出来る。
という事なのではないのかな?と思うのです。
これって、迷惑をかけないとか責任を持つとかと変わらないようなんですけど、最近のニュースなどを見ていると、誰にも迷惑をかけないように1人で頑張って心の病になってしまったり、結果自死を選んでしまったりする人が増えてきている気がするんですよね。
本当はもっと周囲にヘルプ!と言っていいはずなのに、「それをしてはいけない、何でも自分で責任を持ってやり遂げなくてはいけない」と思いすぎている人が多いと思うのです。
そうではなくて、一生懸命に自分のすべき事をしながらも、困った時は助けを求められる、そして誰かが困っている時は手を差し伸べられる、そんな風に他者と関わることのできる人が大人なんじゃないかなぁと思うのです。
大人というか自立した人間ですね。
それには、やはり子供の頃から様々な経験をして、失敗をして、1人で抱え込まずに助けを求められる関係を他者と築いていく事が大切だな、と思う今日この頃なのでした。
永年供養という選択
先日、父が亡くなりまして、それから様々な手続きで家族揃ってバタバタとしています。
父は長男なのですが、我が家は訳あってお墓がありません。
なので、父が生前から自分が入るためのお墓をなんとな〜く探していたのですが、希望に沿うものが見つからないまま亡くなってしまったので、母と私と弟で探しました。
もともと所有していたお墓は近所のお寺の檀家としてお世話になっていたのですが、そのお寺の住職のやり方に父が辟易していたのもあり、今度自分が入るお墓は檀家とか関係なく管理してもらえる霊園のような所を希望していました。
ですが、今後は母と弟(バツイチ再婚の予定なし)が入るだけですし、それまでの管理や金銭的な負担なども考慮して、永年供養という形を選択することにしました。
年を取り足腰の弱くなった母が通いやすい場所で探したところ、バスで15分程の住宅街に永年供養のお墓があるお寺を見つけました。
お寺の墓地の入口あたりに、1メートルくらいの球体が乗った石造の台座が建っていて、数人の方の名前が彫られたネームプレートが並んでいます。
台座には扉がついていて、そこを開けるといくつか骨壺が並んでいました。
そのお墓の管理、販売を担当している石材屋さんに説明をしていただいたのですが、こちらのお墓に埋葬すると、13回忌まで毎年お経をあげてくださり、その後は遺骨はお墓の下の土に散骨してしまうそうです。
でも、引き続き毎年お経はあげてくださるそうなので、家族がみんな亡くなってしまった後も安心です。
さらに、母が亡くなった時には一緒の場所に埋葬出来るように予約もしてもらえました。
ネームプレートに彫る名前は、戒名でなく俗名で彫ってもらいました。
最近はお参りに来た友人などに分かりやすい方がいいという理由などで、俗名で依頼する方が増えて来ているそうです。
父の父、私の祖父が亡くなった時は父が喪主となり、田舎だったのもあり近所の方にお手伝いをしてもらいながら自宅でお葬式をあげていました。
長男の嫁の立場だった母は、それはそれは大変だった、と言っています。
昨今、お葬式もお墓もなるべく質素に…という人が増えて来ているそうです。
うちの夫は遺骨は海に撒いてほしいと言っています。
友人なども、樹木葬がいい、とか海に…と言っていて、出来れば自分が死んだあとは子供に負担をかけたくない、という声がチラホラ聞こえます。
今回、父の遺骨を他人と一緒に永年供養のお墓に入れる…というのはどうなんだろう?と考えたりもしましたが、結果良かったと思っています。
これから先、家族の形も様々になってきて、こういった選択は増えていくかもしれませんね。
みんなで支え合う
きちんとした食事を与えてもらえない子供が増えている、という記事を見ました。
原因は虐待、貧困、共働き世帯で親が遅い時間まで留守、しかも塾通いで夕食はコンビニ弁当などなど…。
それでも学校給食がある日は給食で栄養が摂れて良いのですが、夏休みなどの長期休暇に入るとまた十分な食事はとれません。
そのため、夏休み明けになると休み前より痩せて登校してくる子供がいるそうです。
そういった子供達に温かくて栄養のある食事を…と、全国各地で広がりつつあるのが「こども食堂」という、誰でも気軽に来て食事が出来る場所です。
地域のコミュニティセンターのような公共施設や有志の方の自宅など様々な場所に、近所のお年寄りなどが食べきれなくて余っている食材を寄付してもらい、それを使って有志の方々が調理します。
いつも1人で留守番している子供達は、大勢の大人や子供達と一緒に遊んだり勉強したりして過ごし、一緒に食事を楽しみます。
家族揃って1日の出来事を話しながら食事をするというのは、なんでもない事のようで子供にとっては掛け替えのない経験です。
そういった経験をして育って、自身の子供にも同じことをさせてあげられる大人になるのです。
子供は大事に大事に育ててあげなくてはいけないのです。
でも、それが十分にしてあげられない状況にいる親子がいるのなら、出来る人が手を差し伸べてみんなでフォローし合えばいいんだと思います。
自分も含め、それなりに大変な思いをしながら子育てしている立場でも、自分よりも辛い思いをしている人がいるんだということに意識を向けるのはなかなか難しいのが正直なところです。
だけど、手を差し伸べられる大人になって、1人でも多くの子供に楽しい経験をさせてあげられるようになりたい、と思うのでした。
誰のための毎日?
今年は毎日なんだか冴えない天気が続いてますねー。
こう肌寒い日が続いていると、夏休み感がないと言いますか、どうも家に引きこもりがちになりますな。
我が家は夫と長女が人混みが苦手、4歳の息子と私が慣れない場所が苦手、という事で特に夏休みの旅行の予定などは入れていないのですが、自転車で10分もかからない距離に海水浴場があるので、天気さえ良ければ毎日でも海に行くのになぁ〜。
まあ、母の体力がもてば、の話ですが。
それにしても最近の小学生はハードスケジュールみたいですね。
先日なにかのニュース記事で見たのですが、共働き世帯が増えて夏休みもほぼ学童で過ごす子供達は、学童に通いながらも塾の夏期講習、サマーキャンプ、体験学習などなど、子供だけで参加できるイベントでスケジュールはいっぱい。
これが良いか悪いかは人それぞれなので何とも言えませんが、何だか親も子供も大変そうだなぁ…と思ってしまいますねぇ。
まあ、子供は様々な体験が出来るしいいのかな?とは思いますが。
でもこれがよその家庭と比べて我が家はこんなに充実している!と思うためのプランだったら、それはどうかな〜と思ってしまうんですよね。
数年前から増えてきて今となってはやっていない人の方が少数派?というくらいのインスタ、フェイスブックなども何だか大変そうだなぁと思ってしまうのですが、やはり人は他者からの評価が欲しいものなんですかねぇ。
かく言う私ももちろん他者の評価は気になりますが、自分や子供を表面だけよく見えるように取り繕ってもすぐにボロが出るし、その為に無理したり手間をかけるのは面倒なんで、そこにこだわってる人が割と多い事に何だかみんな頑張ってるなぁと感心してしまいます。
ただいま思春期真っ只中の長女も、普段は「みんなよくやるよね〜」とか言ってるくせに、何かと言うとスマホで写真を撮ってツイッターなどでアップロードしてはコメントに一喜一憂しております(笑)
でも、海外の人気モデルが自身のインスタに散々アップしてきた素敵な私生活はみんな作り物で、こんな事は自分のためにも見ている人のためにもならない、と言っていた記事を見たことあるし、そろそろ自分の評価は他人任せにしないで自分らしく生きていけるような世の中の流れが出来たらいいのになぁ〜と思う今日この頃なのでした。
子育て忍耐力
我が家には10歳差の姉弟がいます。上は14歳。中学3年生、思春期真っ只中。下は魔の4歳児!
かれこれ14年子育てしてますが、つくづく思うのは、「子育ては忍耐」
生まれたばかりの乳幼児のお世話から始まり、毎日毎日、とにかく親に求められるのは理不尽で効率が悪くて不自由な事にもじっと耐える忍耐力!
乳幼児のお世話をしている間は睡眠時間もままならないですし、意思の疎通も難しい。自分の自由時間なんて無いに等しく、時間があるならゆっくり眠りたい…。
もう少し大きくなって幼稚園児くらいになると何でも自分でやりたがって、ちょっとでも手を出して代わりにやってしまった時にはもう…、自分でやりたかったーー!と大騒ぎ。
自己主張が強くなって納得しないとこれまたゴネて大騒ぎするし、買い物に行くのも一苦労…。
小学生になれば、やらなくてはならない事や守らなくてはいけないルールが増えるので、それを身につけさせるのに一苦労。
勉強しないし、忘れ物しまくるし、友達と同じ事したがるし。
ゆっくり子供のペースに合わせて、気長に教えていくしかないんだけど、それが毎日のこととなると…。
まだまだ親も成長途中なんで、イライラして怒り散らしてしまうんです…。
でもこれ、子供は怒られた事しか頭に入らなくて、結局なにも身についてなかった…という悲しい事になるだけなんですよね〜。
いよいよそれなりに自分で大体のことは出来るようになってくると、今度は大人と同じような事をやりたがって、そして大人と同じ事が出来ると思い込んでいる思春期に突入。
我が家は今のところここまで来てるのですが、ここが一番面倒くさい。
何か失敗をしても、大抵のことは自己解決するようになったけど、そのせいであれもこれも何でも自分でやる。でも、まだまだ分からない事の方が多いので失敗したり行き詰まったりする。
まあ、考えてみたら幼稚園児の頃から変わってないんだけど、その失敗した後のフォローが大変になった分、親としては面倒くさい。
何より、子供の自分でやろうと思った気持ちを評価しつつ、問題を解決する方法を教えてあげながら、でも自分で解決していけるように導いていくという…。
そして、とてもナイーブな年頃なのでプライドを傷つけないように細心の注意を払って…
って、もー面倒くさーい!
でもまあ、それを全力でサポートするのが親の仕事なんだろうなと思いながら、いろいろグッと堪えて何とか頑張っています。
とは言え、親も子供の年と同じだけしか親をやってない未熟者なわけで、ちょいちょい子供相手にムキになって同じ土俵に上がってバトル繰り広げちゃってますが。
そんなこんなで、やはり子育てに必要なのはとにかく「忍耐力!」と思う今日この頃なのでした。